先日、アマゾンの熱帯雨林で起きた火災のニュースから、地球存続の危機か!くらいの不安を覚え、自分の身の危険すら感じて怖くなってしまった私は、今まで以上にエコへの関心、環境問題への関心が高まりに高まって、書き殴った記事「「できることをやろう」で、何やんの?って話」。
最近はまた火災のニュースで、オーストラリアでの災害がSNSを中心に話題になっています。
このような森林火災は干ばつの時期に毎年起こっていて、これは地球が生態系をリセットするための自然現象でもあるそうです。昔、先住民たちは火との健全な関係を維持していました。
でも、気候変動・温暖化が原因のひとつとなって火災の規模が手の付けられないほどに拡大していると言われています。
気候変動、温暖化、その原因は何でしょうかね?とにかくあれから本気度が増した私は、自分にできることリストをアップデートしました!
前回リストアップした項目は、6つでしたが、最近2つ追加してみました。
習慣づいてくると、なかなか楽しくなってきました。自分ルールを作って、クリアしていく感じ、失敗すると悔しいし、カンペキにできると気持ちいい。
割り箸を使わないスタイルです。マイ箸を持ち歩いて、外食や弁当を買って食べる時もマイ箸を使います。スプーンとフォークもあると便利です。
「携帯 カラトリーセット」などで検索してもいろいろ出てきます。近くの雑貨屋さんとかで気にいるものが見つかったら、気分も上がって持ち歩くのも楽しくなります!もし、家に余っている箸・スプーン・フォークがあれば、それを使うのが一番エコですね!
(これ正直、家で洗ったあと忘れてしまうこと多々あるけど。。。頑張ります笑)
環境問題について、いろいろと知識を付けていくうちに、「畜産の環境負担」を考えるようになりました。そのキッカケは、アマゾンの火災の原因を探っていた時に目についた、「畜産業のための土地を作るために森林を焼く」というものでした。
大量の人間が食べるために、ものすごい劣悪な環境下で、ものすごい数の動物が大量生産されている。その生産過程において、水質汚染、廃棄物、大気汚染、などによる環境への負担があります。
それに付随して見えてくる情報から、「動物に食べさせる餌」、「打たれる薬」、それを食べる自分の健康も気になり始め、口にしている肉の塊が、「どうやって生まれて、育って、殺されたのか。」という倫理的なことにも直面しました。
「肉を食べる」=「悪」と私は、思っていません。命を頂く、生きるために。「犬食べるとかかわいそうサイテー。豚肉は食べるけど。」は矛盾してる。極論を言うのはあんまり好きじゃないけど、「自分で殺して食えんのか?」ってことになる。そうやって言われてしまうと、私もすいませんってなる。でも、本質はそう。
「“おきて”というものがあるんじゃよ」祖父は静かに話を続けた。「必要なだけしか獲らん事。鹿を獲るときはな、いっとう立派な奴を獲っちゃならねぇ。小さくてのろまな奴だけ獲るんじゃ。そうすりゃ、残った鹿がもっと強くなっていく。そしてわしらに肉を絶やさず恵んでくれる。」
リトル・トリー「母なる大地(モ・ノ・ラー)とチェロキーのおきて」
私は、肉、好きです。美味しいし。でも、よく考えたら別に、毎食毎回メイン肉じゃなくてもいいか、って思って。
バランスの良い食事って「タンパク質、ビタミンミネラル系、エネルギー系」みたいな感じだと思うんです。あんまり詳しく説明できないですが、基本的に「米、野菜、肉」みたいな。
その「肉」の部分、せめて自分で買い物して家で作って食べる分は、「他のタンパク質」に変えてみようって思いました。ついでに肉が入ってるプラスチックのトレーも削減できて良いわ!ってことで。(※実際、プラごみのボリュームはかなり減りました。)
肉が食べたいなーって時は多分、動物性のタンパク質を自分が欲してるんやなと思って、美味しいお肉料理食べに行こう!と。それで、十分なんじゃないかなって思いました。
「ベジタリアン」「ヴィーガン」には、知識がいるなぁと思っています。今まで肉から採ってた「タンパク質」は必要な栄養だから。代わりになる食材と栄養バランスをちゃんと考えないと、自分の体に不調が出たら意味ない。
だから、闇雲に「肉やめる!」じゃなく、どうやって育てられているか、何を食べているかを知って、納得できるなら食べたら良いと思うし、ワンパターンになってた「豚・鶏・牛」からちょっと離れて、「魚・豆類・ナッツ類」とか他ので作ってみてもおもしろい。
肉買うのやめました生活、やってみたら意外と全然できます、余裕です。ネットで調べたら色々教えてくれる時代なので、料理や食事を楽しみながら!
私も、まだまだ知らないことがたくさんあります。矛盾だらけの世の中、良い面と悪い面は常に表裏一体。色々な考え方があると思います。
私が正しいとは言いませんが、私は自分の思いと行動が一致するように、矛盾を少しずつ、なるべく無くして行くために、これからも学び続けます。